「恋ペン」
ハルは毎日決まった時間、夕暮れになると、こそっと家を抜け出します。近くの海岸まで息をはずませてかけていきます。
「今日こそ」
そう言って、つきだした崖の下、ほの暗い岩場の間へと入っていきました。そこは静かで誰かに見つかることはまずありません。町の人だって、知らない文字通りの穴場なのです。ハルが身を縮めて中に入っていくと、人影が見えます。
「ごめんよ、ユウ。僕待たせたよね」
ハルがそう声をかけると、ユウと呼ばれたその人は振り返り、笑いながら
「急がなくてよかったのに。いいよ、慣れてる」そう答えるのでした。
ユウの元へ駆け寄るとすぐに肩へ手が伸びてきます。それから包み込むように両方の手でやさしく抱き寄せられます。ユウの腕の中はひんやりした岩とは違い、あったかくて、思わずハルは目を細めるのでした。
「じゃあまた明日ね」
ユウはそう言って一足先に帰ろうとします。
「一緒に帰りたいなぁ」
ハルがそう言うと、ユウはまた笑って
「ハルが困るんだろ?俺は町の人たちにバレたっていいと思ってるよ」
ユウの言葉にハルは顔を熱くするのでした。それからほのかに差し込む月明かりの中で、時が過ぎるのを待っていたときのことです。
「あいつのこと言わなきゃなぁ」
とつぶやいていると岩間の外からコツコツと誰かがノックするような音が聞こえてきます。
「大丈夫だよ、出ておいで」
ハルがそう言うと黒いクチバシと頭が岩陰からのぞきます。ぺたぺたと左右に白くて丸いお腹を左右に揺らしながらやってきます。ペンギンはこの海岸沿いの町では決して珍しい生き物ではありませんが、人間に近づくペンギンは今まで見たことがありません。この珍しいペンギンがこうやって現れたのはここ最近のことでした。そしてなぜかハルが一人にならないと、このペンギンは顔を出さないのでした。
きゅう。
ハルがペンギンの頭をなでてやると、高い声で鳴きます。しばらく撫でてやると、指をくわえられることもあります。しかえしにヒレ状のつばさにさわろうとすると、ペンギンはつばさをひっこめてしまいます。でもしばらくハルが無理にさわろうとしないで、ほっておくと今度は自分からつばさをひょいと伸ばしてくるのです。そんなハルにすっかり慣れたせいか、今日はハルの両足にひょいと飛び乗ってきました。
「ユウとは会わないの?」
ひとしきりペンギンと遊んだ後にハルがそう聞きます。ペンギンは何も答えない代わりに静かになって、じっとハルの目を見つめてきました。ペンギンはハル以外の人間との関わりを避けているようでした。だからハルもユウにさえ、このペンギンのことは話していなかったのです。
「3人だったらもっと楽しいだろうなぁ」
岩間から覗く夜空の星々が散らばった海に目線をそらしてハルがそう言うとペンギンも黙って海の方を見つめるのでした。
それから数日が経ったある日のことです。ハルとユウがいつもの場所で会っているときのこと、外からコツコツと岩をたたく音がしました。何も知らないユウはハルを守るように、ハルの体の前に片手を伸ばしました。
「誰かいるのかい?」
ユウの緊張した声を聞いたのは初めてのことです。でもハルは音の主が誰なのかを知っていました。
「大丈夫だよ。出ておいで」
ハルがそう言ったことにユウは驚いた様子です。ペンギンが岩の陰から顔を出すと、ちょこちょこと足を動かしてやってきます。しかし、この日はハルではなくユウの方にやってきたのです。ユウの目の前にやってくるとするどく尖ったクチバシで突っつき始めたのです。
「痛い痛い、なんだこの鳥」
ユウがさけびます。ハルはあわててペンギンを引き離そうとしますが、めずらしくハルの腕の中でもずっと暴れておりました。
「なにをするんだ、僕の大事な人だぞ」
ハルが大声でそう言うと、ペンギンは静かになってじっとハルの目を見つめてきました。夜の海のような紺色の目です。それから今度はうつむくと、海の方へペタペタと歩き出してしまいました。姿が見えなくなって、ジャボン。それきりペンギンは姿を見せることはありませんでした。
その夜、ハルはユウにペンギンのことを話しました。ハルが一人のときにやってくること、なついてきたこと、あんな風にクチバシでつつかれたなかったこと、そこまで聞いてユウは安心したようにため息をつきました。
「もしかしてあのペンギン、ハルのこと好きだったんじゃない?」
そっぽを向いてユウがそんなことを言いました。ハルはその一言に笑ってしまいます。
「え、ペンギンなのに?」とハルが笑いながら聞き返しました。
「誰が誰に恋したっておかしいことじゃないだろ」
ユウのその答えにハルは急に顔が熱くなったのを感じます。ユウも相変わらずそっぽを向いていますが、その顔はほんのり赤くなっています。ユウの手をぎゅっと握ると、ハルは立ち上がりました。
「今日は一緒に帰ろう」
「誰かに見られてもいいの?」
ユウにそう聞かれると、ハルは
「まだわからない、でも僕もユウのことが好きだから今日は一緒に帰ろうよ」
夕闇の中、浜辺で二人は手をつないで帰っていったのでした。